「健康を食い物にするメディアたち ネット時代の医療情報との付き合い方」 を読了して

キンドル版で読了。

 

たいへんよくわかったのは、ネット読者に無料で提供するために、クオリティーが犠牲になっている仕組み。

 

専門家の理解と一般人の理解の差に苦悩している著者の真剣さも伝わってくるのだけど、Fantasyland 、歴史修正主義サブカルチャー、と読んできて、いくつか引っかかるところが残った。

 

楽に健康になりたいから健康ビジネスに騙される というのはその通りなのだが、では人々はなぜ楽に健康になりたいのだろうか? 言葉では「健康第一」と言い、「もっと健康で思うようにバリバリ仕事ができて、周囲の期待に応えられるといいなあ」と思うのだったら、するべきことはわかっている人がほとんどだろう。

 これは本書の冒頭で著者が指摘していることでもある。では、なぜそうしないのか。

 

ごく真面目に考えるならば、現代社会にがんじがらめにされていて、動きが取れないということになる。あるいは学習性無気力症で、動くことさえ考えられなくなっているとか。

 

健康とは言えなくなってしまっている自分から見ると、たいていの人は健康なのだが、「もっと健康」になれるはずだと思い込まされている気がしてならない。

そして、インスタ映えに象徴されるような「ちょっと特別」感の一種が「もっと健康」の正体なんじゃないか。

 

「ちょっと特別」の一種だとすれば、簡単にお金で買えるものが求められるのも当然だ。お金で買うためにはマーケットに出ていなくてはならない。マーケットに出すためには、売れる見込みがないとならない。だんだん中身が人の生き死にに関係するようなことだという意識が消えていくんだろう。

 

もう一つは、歴史修正主義サブカルチャーが指摘していた、その論説を買うことで、あるサブカルチャーに参加することになり、同じことを熱烈に信じる他者がいると、自分の信じていることに疑いを持たなくて済むというありかただ。

ニセ医学本を売る出版社、担当編集者、それを買う読者は、幸せに閉じたコミュニティーを作って、何かに所属する安心感を味わい、それを感じ続けるために同様の本を買い続け、ネット上の論説やブログを読み続けるのかもしれない。

 

これも間違いなく、現代社会にがんじがらめの一形態なのだが、本人たちは幸せを求めて自ら虜になっていく。

 

うーん。

もっと健康になって、そうしたら何をするんですか? 健康以外の幸せってないんですか? 誰かに「頑張ってるね」って言ってもらえたらいいんですか? 健康になれました? むなしさは感じないんですか? 

 

そういうことを問いたい気分ではある。