夏の思い出

昔のことを思い出して、しみじみするのが嫌いだ。昔大好きのノスタルジー男の弟は言うに及ばず、妹からも「えー?懐かしくないの?」と呆れられるが、

歴史研究も、古い時代のノンフィクションとか日記とか大好きで、娘から、歴史的事実を「見てきたように」語ると言われるくせに、自分の思い出は、どうも楽しくない。

 

それでもだんだん年をとって、ふっと感慨にふけることは増えてきた。

 

そういうわけで、夏の思い出だ。母の実家は戦前から大井町で、親族も芝だったり、溝の口だったりするし、新潟県村上市出身の父も、祖父が船乗りだったので、終戦時には天津にいて引き上げで帰ってきたので、田舎の実家はない。村上の親戚もみんな都会に出てきたり、行方がわからなかったりで、もう本当に墓があるだけになってしまっている。

 田舎がない子どもではあったけど、脳卒中で倒れた祖父が温暖な土地での療養を勧められて真鶴に小さな別荘を建てて暮らしていたので、夏は決まってそこだった。

 

斜面を降りていくと小さな石だらけの浜があって、夏は猟師のオジさんがタイヤ浮き輪と貸しボートをしてたので、一応海水浴場だ。おじさんの商売が成り立つぐらいには客もいたはずだが、記憶の中ではいつもしんとしていて人気が無い。

 昭和の親は、浮き輪を持っていくから大丈夫と言えば、子どもだけで泳ぎに行くのも止められることはなかったが(今考えるととんでもないが)なぜかいつもお盆過ぎにいくことになるので、クラゲが多くて往生した。結局、煩いくらいのツクツクホウシを聞きながら、宿題の残りをしていた記憶、耳を腫らして熱が出て遠くの耳鼻科に連れて行ってもらって、氷で冷やしながら寝ていた思い出ばりだったりする。

 いまはもう無い場所なので、しみじみとすると言えばしみじみとする。自由研究が間に合いそうになくて、海岸に流れ着いた海藻の標本を作ったっけ。ホンダワラが多かったけどあれは提出するときにちょっと自慢だった。今ならもっと面白いものを発見できたはずなんだが、当時住んでた地元に図書館もなくて、今なら知ってるようなことも全く知らなかったので、しかたない。

そういえば、熱海の花火大会を遠くから見たのは楽しかった。「良い子」だったので、クラゲが出ない早い時期に行きたい、また花火が見たいと思っても、心の中で願うだけだった。それが思い出が楽しくない理由かもしれない。

 

ときどきはこの寂しくて不器用な子と時間を共有するべきなのかもしれない。

 

遠き花火と漁り火の浮かびし夜の水面は暗し思い出に