無意識に使っているうちに洗脳されるやばいフレーズ

別に大した意味はないと無意識に枕詞みたいに使っているうちに意識に沁み込んできてしまうフレーズのやばさについて考えている。

 

例えば「最近は××が増えて怖い」である。

そんなことはないと再三指摘されていて、使う方だって別に真実じゃないと思っているんだけど、

「最近は凶悪犯罪が増えて」

「最近はキレる子どもが増えて」

とつい使ってしまい、使っているうちに、これが周知の客観的事実であるように錯覚していく。

あるいは「添加物いっぱいの加工品」

どんな加工品だって、添加物はごくごく微量でいっぱいではなく、単に種類がたくさん表記されていることからきている誤解が元なんだけど、あちこちで聞いているうちに、加工品には添加物がいっぱいなんだと信じてしまう。

 

今日、気がついたのは「私たちの税金が」というもの。税金を払っているので使い道に文句を言う権利がある!というのを根拠にいろいろ言う人が多いなあと思っていたんだけど(使い道を決めているのは、基本的に私たちが選んだ議員なんだから、文句を言うなら議員に言うのが筋だろうに)「私たちの税金」というフレーズがあるから、そういう思考パターンが出てくるんじゃないかと思いついた。

 

それで、この言葉ググってみたら、政党のキャンペーンじゃなくて、国税庁のパンフレットが真っ先に出てきた。

 

わ、「税金は取られるものだけじゃなくて、皆さんのために使われるもの。もっと当事者意識をもってください」という、あれか。

 

とすると狙い通りの効果になってるわけなのか。というか、そもそも狙いがずれている気がしてきた。もちろん税金の使い道を意識するのは大事なこと。だけど、税金を払っているのは「私たち」であって「私」ではない。同じように税金を払っているはずの、だけど、考え方が違うかもしれない他人を巻き込んで主語を大きくするのはいただけない。ある意味、個々人が主体性を発揮されたら実は困る役所に丸め込まれている気もする。

 

というか、「私たちの」というのが、戦後昭和の理想主義的民主主義用語なんじゃないか。こう言ってさえいればすべてがうまくいくみたいな幻想的な言葉だった。もっと用心して使うべき言葉リストに入れておこう。

 

ありふれたフレーズだからこそ使うときには慎重になりたい。