大人の夏期講習でCourseraを体験してみる3

他の参加者と歩調が合わないと、ディスカッションが盛り上がらないことに気が付いて少しスローダウン。そういうことが気にならな人ならサクサク進むだろうな。

今のところ日常生活に少し負荷が借るぐらいの分量なので楽しい。

 

つい次は何をやろうかななどと考えてしまう。夏はたくさん開講されているみたいなので、来年のお楽しみかなあ。翻訳プロジェクトに参加して講義を日本語化するという楽しみもある。

 

英語の実力を持て余している人には、知恵袋などに溜まっているよりもずっと有意義な活動領域になってくれそう。

 

定年後には特にお勧めじゃないかな。

大人の夏期講習でCourseraを体験してみる2

口座の正式スタートの日、メールでこういうお知らせが届きました。

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若干先行してやってたので、短文でディスカッションに投稿して、クイズを終わらせて、第1週分を終了。

ここまでは考え方も事例もほぼ知っていることだったから、ちょっとずるいな、私。

 

内容の発展は今後を期待。さらに、全世界で受講している人たちとのディスカッションも楽しみ。

 

ただ、ここまででわかってきたのは必要な英語のレベルかなあ。

私のリーディング中上級(ほんとは上級だけど、生徒が来なくなってしまうから中も入れている)が目指しているのは、ワシントンポストニューヨークタイムズエコノミスト、ガーディアンなどの記事を完全ではないにしろ理解しようとすること。ここで参考に読めと指定されているのが、まさにそのレベル。

 

レベル設定としては間違っていなかったな。自信をもって展開しよう。

 

大人の夏期講習でCourseraを体験してみる1

少し悩んだのだが、オンライン大学講座のコーセラ

www.coursera.org

ニュースリテラシー教育の講座をとることにした。還暦を前にして学生時代が少し懐かしくなったのかもしれない。アメリカの高校を卒業してから入学した日本の大学教育には深く感謝しているのだが、あのままアメリカの大学で教育を受けてみたかった気持ちはいつもどこかにあった。

このコースはニューヨーク州立大学が提供していて、トランプ政権下で危機感を抱いている大学がどんなことを教えているのかを知りたいという好奇心もあった。「リテラシーが専門です」みたいなこと言うのならば、基本的な教育の内容もチェックしてお金おかないといけないだろう。courseraは授業料を払うと履修証明書を出してくれる。このコースは5000円ちょっとだった。

スタートの日は23日なのだが先行して勉強しておくこともできる。

少しやってみた感じでは、講義は非常にわかりやすく聞き取りも楽だ。

一般的な日本の人がコースを取ろうとする場合、ネックになるのは読むべき資料の多さだろう。と言っても専門書を読めというのではない。ネット上の雑誌記事や論考が指定されている。

私にとっては大変面白いが、約10分とされている指定時間で ざっと読んでしまっていいのか若干 悩む。

本日までの終了部分。

第一週

Why is information so powerful?
LectureWhy news literacy matters

Reading Recommended resources: Why news literacy matters

LecturePower of information

ReadingRecommended resources: Power of information

Lecture Shoot the messenger: Why journalists become targets

Reading Recommended resources: Why journalists become targets

最後のDiscussionは世紀スタートの明日やることにしよう。

 

無意識に使っているうちに洗脳されるやばいフレーズ

別に大した意味はないと無意識に枕詞みたいに使っているうちに意識に沁み込んできてしまうフレーズのやばさについて考えている。

 

例えば「最近は××が増えて怖い」である。

そんなことはないと再三指摘されていて、使う方だって別に真実じゃないと思っているんだけど、

「最近は凶悪犯罪が増えて」

「最近はキレる子どもが増えて」

とつい使ってしまい、使っているうちに、これが周知の客観的事実であるように錯覚していく。

あるいは「添加物いっぱいの加工品」

どんな加工品だって、添加物はごくごく微量でいっぱいではなく、単に種類がたくさん表記されていることからきている誤解が元なんだけど、あちこちで聞いているうちに、加工品には添加物がいっぱいなんだと信じてしまう。

 

今日、気がついたのは「私たちの税金が」というもの。税金を払っているので使い道に文句を言う権利がある!というのを根拠にいろいろ言う人が多いなあと思っていたんだけど(使い道を決めているのは、基本的に私たちが選んだ議員なんだから、文句を言うなら議員に言うのが筋だろうに)「私たちの税金」というフレーズがあるから、そういう思考パターンが出てくるんじゃないかと思いついた。

 

それで、この言葉ググってみたら、政党のキャンペーンじゃなくて、国税庁のパンフレットが真っ先に出てきた。

 

わ、「税金は取られるものだけじゃなくて、皆さんのために使われるもの。もっと当事者意識をもってください」という、あれか。

 

とすると狙い通りの効果になってるわけなのか。というか、そもそも狙いがずれている気がしてきた。もちろん税金の使い道を意識するのは大事なこと。だけど、税金を払っているのは「私たち」であって「私」ではない。同じように税金を払っているはずの、だけど、考え方が違うかもしれない他人を巻き込んで主語を大きくするのはいただけない。ある意味、個々人が主体性を発揮されたら実は困る役所に丸め込まれている気もする。

 

というか、「私たちの」というのが、戦後昭和の理想主義的民主主義用語なんじゃないか。こう言ってさえいればすべてがうまくいくみたいな幻想的な言葉だった。もっと用心して使うべき言葉リストに入れておこう。

 

ありふれたフレーズだからこそ使うときには慎重になりたい。

 

「水ぼうそうキャンディー」だけで盛り上がらずに・・・

ユーラ・ビスの本は地味だけど、すごくいいので読んでほしい。言いたいのはこれに尽きる。それですべてなんだけど。

 

子どもができて考えた、ワクチンと命のこと。

子どもができて考えた、ワクチンと命のこと。

 

 この本の抜粋を載せた記事

https://joshi-spa.jp/855232

 

に反応して、「水ぼうそうキャンディーとか言語道断」みたいなコメントを多数見かける。素直な反応なんだろうけど、ワクチンに関してはこれだと困る。

感染症予防には集団免疫というものがすごく重要なので、ワクチンは嫌だという人にも考えなおしてもらわないとならない。同じ免疫なんだから自家製の水疱瘡キャンディーで済ませたいという人にも、なぜそれじゃダメなのか考えてもらわないとならない。こどもに余計な苦しみを味合わせないというのももちろんだし、主義主張が違うということで切って捨てたりできないから、ワクチン肯定したい人たちは苦労している。そこのところを理解してほしい。

ユーラビスの本のAmazonページを見に行くと、

「この本を見た後に買った本」の中に「ワクチン不要論」が混ざっていたりする。私が以前見に行った時にはもっと顕著で、ほぼ全員がこの本を見てから反ワクチン本を買っていた。

「子どもができて考えたワクチンと命のこと」という題名で、きっとワクチンがすごく危険だということに気が付いたという本なんだろうと思って見に来た人たちだったのではないかと考えている。(「反ワクチン運動の真実」のほうはそういうことはない)

 

なぜ、そういう本なら読みたいと思ったのだろう・・・たぶん不安だからだ。不安なら、お医者さんや保健師に相談するなり、ワクチンを解説している本を読めばいいじゃないかと思うだろうが、「不安である自分を認めて、不安ゆえに決めたことも認めてほしい」のだろう。だから、もう一冊、ワクチンは危険と言う本を読んだり、そういう体験談を読んで、自分は間違っていない、自分が不安を感じてこういう選択をしたことは間違っていないと確認したくなってしまうのだ。

 

そういう人はこの本を読んだらいいと思うのだけど、自分は不安だということも認めたくないのかもしれない。「そうよ、ほらやっぱり!」と盛り上がりたいんだろうなあ

 

だから「水疱瘡キャンディーっていいアイディア!だって手作りだもん」と盛り上がってしまっている人をネタに盛り上がるのは、あんまり役に立たない。せめてこの本を読んで、じっくり考えて見てほしい。

 

「反ワクチンと反資本主義の混線」

「健康格差」

「私たちはみな拡大家族である」など、現代社会を改めて考えるためのヒントもたくさんある。

私はワクチンについてもう十分考えてきたと考えていたが、この本を改めて読んで(原書は読んでいた)またいろいろと考えている。

 

否定しようのない事実として、私たちは共同体に依存して生きているのだ。

日本の信仰療法

いつか、アメリカの信仰療法と、医療忌避カルトの本を訳したいと思っているんだけど、売れないだろうなあと思ってしまうので、そこで止まる。

 

はい、この2冊。翻訳したい

Bad Faith: When Religious Belief Undermines Modern Medicine (English Edition)

Bad Faith: When Religious Belief Undermines Modern Medicine (English Edition)

 

 

 

In the Name of God: The True Story of the Fight to Save Children from Faith-Healing Homicide

In the Name of God: The True Story of the Fight to Save Children from Faith-Healing Homicide

 

 

日本ではかなりの人が「知ってます。エホバの証人」って反応してるけど、エホバの証人は輸血拒否なだけで、正確には医療忌避ではない。

 現代医療よりも信仰療法を選ぶという形で医療忌避するケースは日本だってたくさんある、報道もされてる。けど、猟奇事件扱いで社会問題にはならずに消えていってしまう。

 アメリカでも社会問題にするためにすごく努力してきた人たちがいて、ようやく認識されてきたわけで。

 

日本でも信仰療法の犠牲になってしまう子は多い。

アメリカでもそうなんだけど、圧倒的に1型糖尿病の子たち。そこがまた辛い。

インシュリンを打っていれば普通に見えるからか。インシュリンが注射だからか。

 

いつかのために、目についたものだけでも記録していこうと考えている。

読み始め 「子どもができて考えた、ワクチンと命のこと」

 

 

 

 読了はどうした!という感じなんですが、読み始めない事には終わらないので。

この本は、英語では読んでいるけど、翻訳の勉強もかねて日本語で読み始め。うーん、「さすが才媛!」という書きっぷりだけど、ときどき保育園に子供を預けて原稿を書く母親の日常が出てくるので、親しみやすくなっています。

もちろん、ビスがこの本の読者に想定している収入は中流以上で学歴があって仕事もしている母親だけでなく、私をフォローして下さっているちょっと理屈っぽい男性諸氏も手ごたえを感じつつ読んで満足だと思うので、読んで!

前作で差別を考えたビスらしく、差別の構造についても見据えているところはいろいろ教えられています。

 うーん、これを題材にインテリな読書会がしたい。

 

では読了を待て。