太平洋側はお天気も良く、美しい初日の出を拝むことが出来ました。
昨年は新型コロナパンデミックに大きな自然災害、個人的にも夫が生死の境を彷徨ってようよう生還すること複数回で、大晦日に家族4人が揃っておそばを食べられたことはある意味奇跡だと思いました。
そして迎えた元旦の朝の光の中で、日はまた昇り人生は続くという言葉を噛みしめていました。
太陽を地球が巡る軌道上のある位置を新年の1月1日と決めて、祝うのは人間がしていることです。身体の五感で感じる様々な刺激を脳が再構成している世界の中で生きているのが人間で、だから現実は人の考え次第なのだと言う見方も出来ます。しかし、太陽も地球である大地も、そこに生きている生物たちも確たる現実として存在するし、大小様々な存在が従っている物理法則も人の脳内世界が生み出す法則とは無関係に存在しています。
人間に何が起こって、脳がどのような世界を作り上げようとも、地球は自転し、日はまた昇るのです。
そして、日が昇って朝が来て、昼が来て、日が沈み夜が来ることが繰り返されていれば、公転による季節のサイクルにあわせて、生物は命のサイクルを繰り返します。人間も例外ではありません。
人が何を考えようと、日はまた昇って、否応なく人生は続く。どのように生きるべきかの道筋など示されていないけれども、生きていくようになっている。幸いにも、生きていける間は生きていける時代に生まれたのだから、そこからはじめて、逆に生きていると言うことを考える、そういう1年になっていくのかもしれないなあと、まず朝にはそう思ったのでした。
そして、お昼にかけて、海まで車で行って、しばらく海風に吹かれて波の音を聞いてきました。
冬にしては暖かく明るい日差しの溢れる海岸は、優しさなど持ち合わせていない地母神が大雪を降らせるのに忙しくて産まれた、つかの間の無垢な空間のようでした。
2021年は、言語化できないまま来てしまったものをなるべく言葉として出して行きたいと思います。
今年もよろしくお願いします。